疑似死(ニアデス)体験
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ニアテス体験者の6割が、安らかさ、あるいは平安を感じている。
ケネス・リングの調査では、死にかかっていると意識する経験に先立って、多くの回
答者が説明しようのない安らかで満ち足りた感情を味わっています。盲腸の破裂で死に
かかったある婦人の場合「私は全く安らかな気持でした。全く何一つ心配のない穏やか
な感じです。そういう本当に安らかな感じだったんです。私は何も怖くありませんでし
た。」
名古屋内科医学会元会長の毛利孝一の『生と死の境』(東京書籍)のなかに、臨終のと
きの表情について書いてありました。それによりますと、人が死んでいくときに「みん
なもがいて死んでいく」のは考えにくいということで、ある調査データを載せています。
井上勝也が1175名の老人の臨終時の表情を調査した統計です。これを見ると約70%の
人が「安らか」であり、「無表情」を加えると85%近くが、穏やかな死顔だったようです。
苦痛や緊張は12%にすぎません。
もう一つ興味をひくのは、年代別に見た表情で、70歳から84歳までを5歳ずつ3段階
に分けますと、「安らか」の表情を示す人のパーセントが、高齢になるごとに5%ずつ増
えていっていることです。そこで毛利さんは、このことから楽に死ぬ秘訣の一つは、長
生きすることだといっています。
肉体がらの分離
ニアデス体験の第1段階は、名づけようもない穏やかな気分ということができます。次の第2段階では、肉体から抜け出る感覚だといわれています。心臓発作に襲われた男性
の場合
「私は、その上の空間にいるようだったんです。私の心ははっきり働いていました。丁度
頭脳だけが空間にいたみたいなんです。心以外のものは何も感じませんでした。重さも
なくて、私は心だけだったんです。」
ニアデス体験をした約37%の人は、このレベルを体験しています。
暗いトンネルに入る
ニアデス体験の次の段階は、この世からあの世への間の過渡的な世界に入ります。こ
の空間は、普通非常に暗く、大きさの分からない空間として体験されています。これを
体験した人達のなかには、これをトンネルに例えている人がいます。
脳溢血と一時的な盲目に襲われた婦人は、こういっています。
「私はトンネルの中を通ったことを覚えています。本当に其っ暗なトンネルなんです。そ
んなに真っ暗なのに、怖くはありませんでした。それは、トンネルの向う側に、何かよ
いことが待っていると分かっていたからです。それでとても楽しかったんです。怖いと
いう感しは全然ありませんでしたし、暗闇に結びつく恐れも何もありませんでした。私
はただ、自分の体が非常に軽いのを感じました。私は浮いているみたいだったのです。」
光を見る
ニアデス体験の第3番目から4番目の移行の特徴は、光が表われるということです。普
通、きらきら輝く金色の光と説明されています。しかしこの光は非常に柔らかで、目を
痛めることはなく、何人かの回答者は、この光に包まれ、また3分の1の人がこの光の体
験をしたといっています。
この光の引き付けるような力について、或る婦人は語っています。
「私がそのまま歩いていたら、道のずっと向こうの端のほうに、小さな光が見えたのです。私は歩き続けました。そうすると、その光は、ぐんぐん明るくなってきました。本当に
最後はとてもきれいでした。」
光の世界に入る
この段階は光の世界に入っていき、ここに達した人は、本当に別世界にいたという感
覚をもっています。そこはとても美しい世界で、そこの色彩も忘れ難いものだといわれ
ています。ある人は牧草地のようなところにいたり、美しい花園を見たり、美しい音楽
を聴いたりして、この段階を経験して生き返った人は、生き返ったことを恨めしく思う
ほどであるといいます。ニアデス体験をした人の約5分の1が、この段階に達していると
いいます。
戦場でのニアデス体験
毛利孝一の『生と死の境』には、戦場で負傷した人々のニアデス体験が収録されてい
ますが、そこには瀕死の状態にありながら、美しい情景を見たことがかかれています。
「瀕死の状態になって意識を失ったが、その度ごとにいつも夢うつつに金色の雲が見えた」
「しだいに目は見えなくなって、氷上で転がっている冷たさも覚えず、負傷の苦痛もなく、意識が段々遠くなり始めた頃、急に美しいお花畑がカラーで映り、その中から19歳の時
死別した母の姿が現われました。」
生涯の回顧
ある人は、自分の人生の全様相を、あるいは限られた様相を、生々しく、瞬間的に、映
像の形で体験します。普通これらの映像は、見ている本人は超然とした感覚になってい
るにもかかわらず、その気分を明るくするように作用しているといわれています。
ある存在との出会い
ニアデスを体験した人のなかには、以前に亡くなった人に出会うという体験をもつこ
とがあります。この霊たちは、「まだお前の番ではない」「お前は戻らなくてはならない」
という意味のことを伝え、その結果、それぞれの体験者は、自分の意志で、この世に戻
るか、この世を越えた旅をさらに続けるかを決定することになります。体験者は自分の
意志で、あるいは知らないうちに再び、この世界に戻されることになるのですが、いず
れにしても死んでいく過程とは逆のプロセスをとって、この世界に戻ってくるといいま
す。
ニアテス状態での感覚作用
ニアデス体験をした人々の、死に近づいたときの感想では、判断力が明晰であり、感
覚も鋭く正確になっているといいます。ただ味覚と臭覚は欠如しており、視覚と聴覚は
残っているようです。
「全てがはっきりしていました。静かでしたから、どんなことでもはっきりと聞こえまし
た。針が落ちても聞こえるような感じてした。見えるものも全てはっきりしていました。
私は殆ど自分を見てたんですけど、自分を含め、私が見たどんなものも、はっきりと見
えました。」
肉体、時間、空間
ニアデスを体験した人は、自分の肉体や空間、時間が特有の変化をするといいます。殆
どの人は自分の体験を説明しようとして、それが普通の知覚や認識と全く異なるため、と
ても困難であるといっています。肉体の感覚では51%の人がなかったといっています。
時間感覚は65%が、そして空間感覚は12%の人がなかったと答えています。
男性は事故が、女性は病気がニアデス体験を誘う病気あるいは事故、自殺によってニ
アデス体験をした人の男女の比率を見てみると、ある傾向を読み取ることができます。つ
まり男性は事故あるいは自殺の場合にニアデス体験が起こる傾向があり、女性は病気の
ときに、最も多くニアデス体験をするということです。これを数字で表わすと、ニアデ
ス体験をした男性の59%が事故や自殺で死に直面したときで、女性の場合は21%にすぎ
ません。反対に病気が原因の場合、男性は35%、女性は72%という数字が出ています。
ニアデス体験は、死後の世界を信じていない人に多く、これをきっかけに死後の生命
を構じるようになる。ケナス・リングの調査のなかで、最も説得力のある結論の1つは、
死後の世界があるかどうかの質問にたいし、ニアデス体験者は大幅に、「分からない」か
ら「強く信じる」に変わるということです。そしてどういうわけか、ニアデス体験者の
ほうが死後の世界を信じていない傾向が強かったのですが、これをきっかけに、死後世
界を信じるようになったそうです。また同じ調査のなかで、ニアデス体験をした人の80
%が、それ以来、死の恐れが減ったり、なくなったと答えており、それに対し体験をし
ていない人の場合には、そのような心理的変化が見られないということが分かりました。
死に対する苦しみから死の受用へ
人の死は家族や親族にとって、涙を流す悲しい出来事として経験されてきました。看
護婦もまた死を目前にした患者を看護するとき、気持が沈まないようにするのが、いか
に難しいかを口にします。このように死は、コントロールするのが難しい、悲しい出来
事と考えられています。しかし患者の気分も死を目前にして高まると、それまでの憂が
や苦悩がどこかに消し飛んでしまうことがあるそうです。こうした患者は一部だけだそ
うですが、惨めな状態のままの死よりも好ましいのは明らかです。
K・オシスとE・ハラルドソンの共著による『人間が死ぬとき』(たま出版)には、人
間が死の直前に見た様々のビジョンや気分の高揚が、患者の心理に与える影響などを分
析しています。この本のなかで、死後の直前に起こる「黒海の夜明」について述べてい
ます。
「黒海の夜明」とは、長い苦しみの闘病生活を経て、死の直前に融和と安らぎの表情に
輝くことを指します。ニューデリーのある看護婦は、次の例を報告しています。
「40代の女の方なのですが−この方は癌にかかっていて、最後の何日かは、抑うつ的で半
ば眠っているような状態でした。意識はずっとはっきりしていたのですが、それが急に
楽しそうになったのです。うれしそうな表情をしていましたが、その表情のまま五分後
に息をひきとりました。」(196頁)
次はアメリカ人の例です。肺炎の70代の女性患者ですが、この人は半ば寝たきりの状
態で、惨めな辛い毎日を送っていました。この老人の顔がまるで美しいものを見たよう
に、安らかになったのです。顔はライトを当てられたようで、ニコニコとしていました
が、とても言葉では表現できません。これだけのお年寄りなのに、美しいくらいの表情
だったのです。そのうえ皮鷹が透明で柔らかい感じで、末期患者に見られる、顔色を失っ
た土色とはまるで違っていました。」
この安らぎは、患者が息を引き取る1時間後までつづいたといいます。上の表(略)は
同書にある、気分の高揚を体験した患者の特徴を示したものです。このように臨死患者
が見る様々なピジョンから、色々なことを推理することが出来ます。しかしながら、最
終的には、「死」は個人の出来事として捕えるべきものと言うことができるでしょう。