カポネ

/ 情報誌『デス・ウオッチング』95.12より


 
 「民衆の敵ナンバーワン」とあだ名された夜の大統領カポネは、1899年ニューヨークの ブルックリンで生まれた。21才の時にシカゴに移り、酒の密輸に手を染めた。1932年、 32才の彼は事業からの引退声明をしたにもかかわらず、脱税の罪で有罪となり5万ドル の罰金と11年の実刑を受けた。1938年にカルフォルニアのアルカトラズ刑務所から釈放 されたあと、フロリダの別荘で死亡した。48才であった。
 

   空の霊柩車

 1947年1月19日、脳内出血を起こし、意識不明の状態となった。臨終の儀式が行われ、 新聞に死亡記事が載った。しかしカポネはそれから一週間生き続け、1月25日夜7時過 ぎ、気管支肺炎のため家族に見守られながら死亡した。彼の本当の死亡原因は29年間 患っていた梅毒であった。
 聖パトリック教会の主任司祭は家族と話し合い、新聞記者を煙にまくことにした。空 の霊柩車が遺体安置所から追悼会の行われる教会に向けて出発した。一方カポネの遺体 を乗せた別の霊柩車がシカゴに向けて出発していた。またカポネの家族は棺と一緒に汽 車に乗ってシカゴに行くという噂が流れた。
 

   埋葬式

 2月4日午後2時、シカゴの南端にあるマウント・オリヴェットに、50人近い会葬者が 集まってきた。会葬者が少なかったのは組織の代表であるアッカルドが、「会葬者はご遺 族とも親しかった方に限られる。そうしなければ、シカゴ中から人がやってきて大混乱 になる」と言ったからである。
 地面は氷点下で凍てついており、墓穴は3時間かけて掘られた。墓の上に設けられたテ ントに人々は入って式典の始まるのを待った。彼等の周りにはニュースカメラマンや記 者が取り巻いている。
 式典を司る復活聖堂のゴーマン牧師は、カポネの母から式を依頼されたのだった。3時 半、青銅製の棺が運ばれてきた。棺はくちなしとランの花で飾られている。牧師はミサ 典礼書から2つほどの節を読み上げ、主の祈りには会葬者も唱和した。儀式は5分で終 り、棺が墓穴に降ろされた。
 

   荒された墓

 墓には高さ2.4メートルの黒大理石の墓標が建てられた。そこには父と兄の生年月日と、 カポネの死亡年が刻まれていた。
 それから3年後、遺族はいたずらの的にされる墓から3つの棺を引き上げ、シカゴの西 に位置するマウント・カメール墓地に移した。
         (資料ロバート・シェーンバーグ「ミスター・カポネ」青土社)



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