ゲーテ

/ 情報誌『デス・ウオッチング』95.2より


 

   ゲーテの死


 ドイツ最大の作家であるゲーテは、82歳で亡くなった。その時の模様を主治医が記録 している。
 「私を待ち受けていたのは、見るも痛ましい光景である。長年にわたってきわめて荘重 な物腰が習性となっている高齢の老人は、いまやすさまじい恐怖と不安に襲われて、落 ち着きを失ってせかせかと、あるときはベッドに、あるときはベッドの傍らの椅子へと 一時もじっとしていなかった。…胸部に増してくる激痛のために、この病人はうめいた り、悲鳴をあげたりするのであった。顔はゆがみ、顔色は灰色に変わり、目は落ち込み、 疲れきって濁っていた。そのまなざしは、死の恐怖にあふれていた。
 ゲーテの最後の言葉は、「もっと光りを」というのが有名であるが、「尿瓶を取ってく れ」というのもある。現実はロマンチックではないのだ。こうして82歳の天才作家ゲー テは息を引き取った。死因は心筋梗塞であった。
 

   ゲーテの遺体

 ゲーテの死の翌日、エッカーマンは死の部屋を訪れている。彼は下僕の案内によって ゲーテの眠っている部屋に入った。ゲーテの身体は裸のまま白のシーツに包まれ、大き な氷がそばに置かれていた。できるだけ遺体を新鮮なままにしておくためである。エッ カーマンはかっての師の遺体と最後の別れをして泣き声をあげたのだった。
 

   妻の死に立ち会わなかったゲーテ

 ゲーテの妻クリスティアーナが50歳で死亡したとき、彼はカタルにかかって自室にひ きこまったままであった。遺体は深夜12時に納骨堂に収められたが、ゲーテは終日床の 中に引きこもっていた。ゲーテの親友のシラーが病死したときにも彼は病気にかかって いる。また81歳の時、自分の息子が死亡したときには、激しい吐血をしている。このよ うに彼は大変に死に敏感であった。
 

   ゲーテの葬儀

 ゲーテの葬儀は、3月26日の朝、自宅で行なわれた。まず棺を前にして告別式が行な われた。ゲーテはキリスト教の儀式はやめるように言っていたらしいが、オッティーリ エ未亡人や多くのゲーテ崇拝者の希望で実施された。
 式が終わり、棺はゲーテの家から外にある棺車に乗せられた。この車は古ぼけており、 生花もなく、小枝をあんだ2つの輪が飾られただけで、葬儀につきものの十字架などの飾 りも一切なかった。葬列は埋葬先の墓地に向かった。埋葬場所は、遺言によって宮廷の 墓所のシラーの傍と決められていた。墓所の入口では子供たちの合唱隊が葬列を出迎え た。
 墓所には埋葬の様子を見ようと多くの人々が押しかけ大変に混雑した。その雑踏と人々 の声で、教会の鐘の音も聞こえないくらいであった。ワイマール劇場の総監督であるレー ルが荘重な弔辞を述べたが、これも騒ぎにまぎれて聞こえなかった。
 

   ナポリの思い出

 彼がイタリア旅行した際に、たまたま巡り合った葬儀について書いている。
 「私は子供の葬式を見たことがある。棺台の上に幅広い金の縫い取りのある赤いビロー ドの毛氈が掛けられ、その上に彫刻が施され金銀のメッキをした棺が安置されていた。棺 のなかには白い衣裳を着た死者が、バラ色のリボンで飾られて横たわっている。棺の四 隅には、高さ2フィートほどの花束をもった天使の像が立っている。この天使は足元を針 金でしばってあるだけなので、葬列によって棺台が動くと一緒になってゆれた。葬列は 街を急いで進行し、先頭の神父とローソク持ちは、歩くというよりも走るようにして行 くので、天使はますます揺れるのだった。」
                     (資料『イタリア紀行』)



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