マリリン・モンロー

/ 情報誌『デス・ウオッチング』93.10より


 
 1953年映画『ナイアガラ』が公開され、その魅惑的なモンローウォークで国際的な人 気女優となったマリリン・モンローは、1962年8月5日、睡眠薬による自殺を図った? (36歳)。モンローの内科医であるルベルク医師は、ロサンゼルス中央讐察署に死亡届を 提出した。
 

   検視経過

 モンローの遺体は、ハリウッドのスターの「検死官」として有名なトーマス・ノグチ 博士のもとに運ばれた。ノグチの助手は遺体の管理を任され、死体安置所の係員に解剖 室に運ぶよう指示した。検死官の許に運ばれるまで、マリリンの身体は8時間近くもう つ伏せになっており、血液やその他の体液が沈殿して死斑となっていた。舌も膨れ上がっ て歯の間からのぞき、目も少し飛ぴ出していた。呼吸停止による死亡時に、毛細血管が 切れて鼻と唇は斑になっていた。
 

   淋しい葬式

 8月8日、モンローの死後3日目に、ロサンゼルス市のウエストウッド教会で彼女の葬 儀が行われた。葬儀の一切は、マリリンの異父妹のバーニス・ミラクルの許可を得て、マ リリンの3番目の夫ジョーデイマジオと、マリリンのビジネス・マネージャーだったイネ ズ・メルスンがとりしきった。そして、主催者側は、わずか20数名のごく内輪の者しか 葬儀に招待しなかった。
 スターや有名人の参列は、ディマジオによって完全に拒絶された。歌手のフランク・シ ナトラは、教会の入口までやって来ていながら、讐備員に出席を阻まれた。ディマジオ は、続々と集まってくる群衆に目をやりながら葬儀委員に声をかけた。「いいか。ケネ ディ家の連中が来ても、誰も中に入れるんじゃないぞ」
 見物人が千人ばかり楽まり、教会を遠巻きにしている。入口の前には報道関係者やカ メラマンが詰めかけ、さかんにシヤッターを切った。式が始まり、リー・ストラスバー グの弔辞。ついで無宗派教会の牧師による告別の辞。そしてパイプ・オルガンが、彼女 の愛したメロディ『虹の彼方に』を演奏して短い葬儀は終了した。
 会葬者は順に花束を棺の足元に捧げた。マリリンは棺に横たわり、手にはディマジオ が捧げた薔薇の花を握っていた。
 そのディマジオは、最後に彼女の前に立ち、涙で頬を濡らしながら3度、「アイ・ラヴ・ユー」と繰り返して、マリリンの唇にキスをした。
 

   霊廟への道

 棺は教会を出発して、群衆が見守る中をウエストウッド・メモリアルパークに向けて ゆっくり進んだ。モンローは、生前、地中に埋葬されるのを嫌がっていたため、彼女の 棺は、壁面式の霊廟に収められることになった。黒の服を着た4人の男たちは、棺を腰の 高さにある収納スペースに押し込み、蓋がかぶせられた。現在この霊廟には、多くの観 光客が訪れ、彼女を納めらているプレートの前にはバラの花が飾られている。
 なおモンロ−の死因は、死亡証明書によると過剰摂取による急性バルビツール中毒。葬 儀担当社はウエストウッド・ヴィレッジ葬儀社である。同じ霊園には、女優のナタリー・ ウッドも眠っている。(資料/「マリリン・モンロー検屍台の女神」ジョン・ウオルシユ 原作、メディア・フアクトリー発行)



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