エルビス・プレスリー
/ 情報誌『デス・ウオッチング』94.8より
1977年8月16日午後、ロックの王様エルビス・プレスリーが、テネシー州メンフィス
のグレースランドにある彼の豪邸内の浴室で、パジャマ姿で倒れているのを発見された。
42歳であった。プレスリーが運ばれたメンフィスのバブテスト病院前にはファンが続々
と詰めかけた。プレスリーの遺体は3時間に渡って解剖され、死因は心臓発作と発表され
たが、巷では麻薬説などが飛び交った。世界中の死亡記事で、彼の死を通して自分たちの青春時代が終わったと報じ、またレコードが飛ぶように売れた。プレスリーの死に関す
る情報が、1週間の間、世界中の新聞を賑わした。お堅いロンドンタイムズも、これまで
の人気歌手のなかで最も長い死亡記事を書いた。またカーター大統領は異例の追悼声明
を行った。
最後の別れ
8月17日の午後の3時間の間にプレスリーの遺体は、一般市民見に対して最後のお別
れの場が設けられることが報道された。これを聞いたファンは、グレースランドには続々
と集まり始め、警備に州兵が配置された。中にはカナダからやってきた者もいた。ファ
ンは警官の指示で一列に並ばされ、一時に5、60人ずつ大きな敷地内に入ることが許され
た。そして邸内に安置された棺に納まり、上半身を見せたプレスリーの遺体に最後の別
れを告げた。
プレスリーは水晶のシャンデリアの下で、900ポンドの銀の板金でおおわれた棺の中に
納められた。白のスーツを身に付け、青のシャツと白のカシミヤ製ネクタイ。そして12
カラットのダイヤモンドと縞メノウの指輪をはめていた。邸のまわりにはおよそ8万人の
哀悼者が囲み、悲しみと熱気から12人が気絶した。遺体を一目見ようとして家に入った
3万人が、興奮状態になった。彼らはすすり泣き、そしてアイドルに最後の別れを訴えた。
酔っ払ったドライバーが群衆に衝突し、2人が死亡した。
葬列
翌8月18日、徹夜の350人を含め、5千人前後のファンが豪邸を取り巻いた。この日密
葬が行われた。テレビ福音布教者のレックス・ハンバードによる密葬に招かれた客が寄
り集まった。家族、プリシラ前夫人、友人ら200人が参列した。この中にはテネシー州知
事の他、俳優のジョン・ウェイン、バート・レイノルズ、アン・マーグレットの顔もあっ
た。
夕刻、何千人の人々がメンフィスの通りに沿って並ぶ中を、警官のオートバイに先導
された白のリムジンの先陣が、プレスリーの葬列の車を導いた。16台の白のリムジーン
の行列が、共同墓地であるフォレスト・ヒルズに向かった。6キロの沿道は人の波で埋
まった。
墓地にもファンが待ち受けており、敷地にはギターと猟犬の形に生花が飾られていた。
バラの花で飾られた彼の棺は霊園内にあるミッドタウン霊廟の内部に置かれた。
何カ月のちに、彼と彼の母の遺体は、グレースランドの敷地内に並べて埋葬された。エ
ルビス・プレスリーの死とともに彼のビジネスは終わらなかった。彼のレコード、映画、
書籍などの売上げは成長を続けた。毎年50万人の人々がエルビス・プレスリーの墓に詣
で、彼の地所は死亡当時百万ドルと見積られていたが、現在は少なくとも55万ドルの価
値があるといわれ、さらに上昇している。
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