ザビエル

/ 情報誌『デス・ウオッチング』95.5より


 
 1549年、宣教師フランシスコ・ザビエルは、日本に向けてインド西部のゴアを出発し た。日本滞在2年余りの後、彼は次の宣教の地を中国とした。しかし彼は広東湾外上川島 で案内人の到着するのを待たず、島の民家で死亡した。時に1552年12月3日夜明け前。 享年46歳。
 

   島での埋葬

 ザビエルが息を引き取ると、ゴアからお共をしたシナ人のアントニオは、ポルトガル 船サンタ・クルス号にその死を知らせた。この船には彼らの荷物があり、彼は遺体に着 せるザビエルの祭服を持ち帰った。
 翌12月4日、船内のポルトガル人たちはアントニオと協力し、遺体を島内に埋葬する ことになった。シナでは遺体を木製の棺に入れて埋葬するため、その習慣に従って棺を 作った。そして、船が停泊している湾の岬の途中の丘に埋葬することになった。アント ニオはポルトガル人及び2人の船員と一緒に小舟に乗り、埋葬の地に向かった。
 墓を掘り棺を入れようとしたとき、「棺に石灰を入れると遺体が早く腐敗するので、イ ンドへ遺骨で運べるようになる」との意見が出た。そこで石灰を遺体の上下に敷きつめ、 棺の蓋をして仮埋葬をした。
 

   遺体をマラッカの教会に運ぶ

 翌年2月サンタ・クルス号はマラッカに帰る準備を調えた。船長の指示で埋葬されてい るザビエルの棺が調べられた。驚いたことに遺体は埋葬の時と同じで、少しも腐敗して いなかったという。そこで棺を船に運び、遺体にザビエルがシナ王に謁見するときに着 る服を着せた。そして船は3月22日、無事マラッカの港に投錨した。
 港にはイエズス会員はいなかったので、棺はひとまず港に近い民家に安置された。司 教代理の命令で棺の蓋が開けられ、遺体が腐敗していないことが確認された。翌日、港 から丘の聖母教会に向かって大行列が行なわれた。棺が教会に着くとすぐに葬儀が営ま れ、そのあと遺体から石灰が取り除かれて、祭壇前の地下に仮埋葬された。
 

   遺体はゴアに運ばれる

 その年の12月、ザビエルの棺はインド行きの老朽船に運ばれた。そしてこの老朽船は 出迎えのフスタ船にバトカル近くで遭遇すると、棺をそれに移し3月15日夜半にゴアに 到着した。到着の知らせを受けた聖信学院の神父や修道者は、揃って波止場に迎えに出 た。翌日、遺体は副王や司祭、慈悲員会の会員、白衣を着け燭台を持った90人の少年に 守られて波止場から学院に運ばれた。
 棺は聖堂に安置され、院長は扉を閉めてから棺の蓋を開いた。遺体を見て感動した者 が吹聴したため、遺体を見たい人の希望者が多く断れない状況になった。院長は短時間 という条件で遺体の対面を許した。群衆は棺台に2人づつ近づき、膝まづいてザビエルの 手足に接吻した。
 そのあと院長は、ザビエルの遺体を新しい棺に納め、祭壇脇の煉瓦の壁を切り込んで そこに安置した。
 その後イエズス会インド管区会議は遺体をもっと荘厳な場所に移すことになり、1582 年修練院の聖堂に移された。1605年改めて大聖堂に移され、さらにボン・ジェズーに移 されて現在も人々の崇敬の的になっている。
         (資料:河野純徳『聖フランシスコ・ザビエル全生涯』平凡社)



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