青森歩兵第五連隊

/ 情報誌『デス・ウオッチング』94.2より



 明治35年(1902)1月、八甲田山「死の行軍」で歩兵199人が凍死するという悲劇が 起こった。1月23日、陸軍第八師団青森歩兵第五連隊215人が、耐寒訓練のため3日間、 52キロの行程で青森から三本木に向かった。しかし24日に記録的な猛吹雪が襲って道に 迷い、参加者199人が凍死する惨事となった。
 2月8日、陸軍省の調査発表があった。それによると、行軍者210名。生存17名(うち 6名は収容後死亡)、発見死体の姓名が確認された者69名、未確認遺体39名、死体未発 見85名。
 捜索参加人数は当初1099名。最も多くの死者を出したのは岩手県出身者で、遺族の多 くが五連隊に押しかけて怒りをぶつけた。
 五連隊では家族係を設け、遭難者の家族との交渉にあたった。発見された遺体は田茂 木野まで下ろされ、家族と対面して、遺体を故郷に持って帰るなり、現地で火葬するな りの判断が遺族にまかされた。雪のなかに埋まった遺体の捜索作業は難航をきわめ、最 後の遺体が発見されたのは5月28日になってからであった。

 発見死体の惨状

 2月4日の新聞に、遺体のありさまについて記録している。「前後70余名発見された死 体の多くは、雪中を彷徨したために靴のかかとは破れ、眼は閉ざされてなく生きている ようである。外套は凍って板のようになっている。わら靴は石のように固くなって、な たがなければ外すことが出来ない。しかも死体はことごとく青森の方を向いて、いずれ も仰向けに、又は立ったままで、帽子は飛んで見えず、顔は赤く腫れあがって一見して 苦悶のすごさを察して余りある」

 遺族への特別賜金

 4月25日皇后陛下が手足截断の生存者に義足義手を下賜された。また両陛下より遭難 死亡将校以下の遺族に対して、祭祀料が下賜された。この祭祀料は少佐75円、大尉50円、 中尉35円、少尉25円、兵卒5円であった。また死者に対する一時金は、少佐1500円、大 尉1000円、中尉750円、兵卒250円と定められた。また遭難者は戦死者と同じように、靖 国神社に合祀されることになった。なお遭難事件以来全国から遺族に対して弔慰金や見 舞金が送られ、6月末までにその総額は21万円となった。

 遭難現場での弔魂祭

 7月23日午前9時より田茂木野において、立見第八師団長が祭主となって、第五連隊 凍死者の弔魂祭が行われた。式次第は師団長が祭文を朗読し、次に伏見宮殿下御名代塚 田少佐、大山参謀長代理友安第四旅団長、津川委員長らが玉串奉奠を行った。ついで宮 城県知事、岩手県知事、その他来賓による弔辞が奉読された。そして歩兵第五連隊等よ り将校、水兵、学校生徒、一般参列者が順次参拝を行った。その数は5万人以上といわれ る。
 祭式のあと、午後には仏式で法要が行われた。各宗派の管長代理以下、僧侶約160 名が集まり焼香、読経を行った。

 遭難者の墓地

 五連隊の遭難者墓地は幸畑にある。正面に大隊長の碑が聳え、左右に将校、大尉と階 級順に並べられている。
             (資料/新田次郎『八甲田山死の彷徨』新潮社他)



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