大韓航空慰霊祭
/ 情報誌『デス・ウオッチング』94.10より
11年前の1983年9月1日、ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行きの大韓航空ボー
イング747型機が、サハリン上空で、ソ連の戦闘機のミサイルによって撃墜され、乗員29
名、乗客240人が死亡する事件が発生した。
9月11日、遺族会が発足した。この日の会議で合同慰霊祭の打ち合わせが行われた。そ
の結果、それは政治的に利用されないこと、特定の宗教色を出さないこと、参加は自由
であることの3点に留意することが決められた。9月15日の遺族会で、大韓航空側と葬
儀費用や慰霊祭のことが話し合われ、遺族に支払う葬儀費用として乗客1人につき100万
円(12歳未満は50万円)と香典料として50万円(同25万円)が提示された。またこの
時に合同慰霊祭の式次第が発表された。
式次第
- 一、
- 開式の辞…司会者
- 二、
- 黙祷………司会者
- 三、
- 追悼の辞…慰霊祭委員長(これに「陳謝の辞」がつけ加わる)
-
- 日本政府代表
-
- 韓国政府代表
-
- 遺族代表
- 四、
- 弔電披露…司会者
- 五、
- 代表献花…遺族(五十音順)
-
- 慰霊祭委員長
-
- 来賓代表
- 六、
- 謝辞………慰霊祭副委員長
- 七、
- 閉式の辞…司会者
- 八、
- 一般献花…親族
-
- 来賓
-
- 一般参列者
9月23日の秋分の日、事件の犠牲者29人(日本人28人、在日韓国人1人)の合同慰霊
祭が、東京の青山葬儀所で行われた。主催は大韓航空で趙重勲社長が委員長を務め、長
谷川運輸大臣や鈴木東京都都知事、崔駐日韓国大使ら1800名を越す人々が参列した。
式場に入りきれない遺族のために中庭に板を敷き詰めた臨時席が設置され、また一般
待合所として外にテント席も設置された。
正面の祭壇には29名の遺影が白菊で覆われていた。式が始まると、はじめに全員が起
立して、犠牲者のために黙祷をささげた。
「追悼ならびに陳謝の辞、合同慰霊祭委員長趙重勲」という司会の案内により、趙重勲社
長は韓国語で式文を読み、大韓航空の社員が日本語に通訳をした。「本日ここに、ご遺族
の皆様、……日本人犠牲者28名、在日同胞犠牲者1名、計29名の尊き御霊の前に、謹ん
で追悼と陳謝のことばを申し述べさせていただきます…」ここではソ連に対する非難ば
かりで自社の責任には触れなかった。これに対し遺族会代表の川名優収さんは、「事件の
最大の責任がソ連領土に侵入した大韓航空機の安全運行義務違反にある」という弔辞を
読み上げた。
このあと弔電の披露があり、献花に移った。葬送の曲が流れるなか、遺族は席の順に
次々に立ち上がって白菊を祭壇に捧げた。遺族と親類縁者等約300人の献花が終わると、
遺族は答礼のために祭壇の横から出口の方へ向かって並んで立った。そして約千人の知
人、関係者、一般参列者が献花のために長い列を作った。
(資料:武本昌三『大韓機撃墜事件・疑惑の航跡』潮出版)
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