山本五十六
英霊安置式
山本長官の遺骨は23日午後2時43分、東京駅着特別列車で着いた。駅には各宮家から の使いをはじめとして、遺族および陸海軍部長以上ら200名が迎えた。そのあと柳沢海軍 省副官先導の下に自動車序列をととのえ、午後3時15分芝の水交社に到着。3時30分よ り同社で英霊安置式が行なわれた。なお午後7時より遺族、親族のほか、約20名が出席 して通夜が行なわれた。
国葬日取り
5月28日、国葬の日取りが発表になった。
27日午後2時 墓所土鎮祭の儀
6月 1日午後3時 正寝移柩の儀
4日午後2時 賜誄の儀
同4時 墓所祓除の儀
同7時30分 霊代安置の儀
5日 午前7時 斂葬(れんそう)当日柩前祭の儀
同8時50分 霊車発引(はついん)の儀
同10時 斂葬の儀中葬場の儀
午後4時 墓所の儀
同11時 正寝祓除(ばつじょ)の儀
6日午前8時 斂葬後1日権舎祭の儀
同10時30分 斂葬後1日墓所祭の儀
齋場設置準備
28日、齋場会場の日比谷公園には数10名の大工が入り、設営準備を開始した。広場の 玉砂利を掃き取り、そのあとに儀場の区画が縄張りされた。正面齋場殿は北側音楽堂寄 りに作られ、齋場殿に向かって左が楽舎が、右側に祭官幄舎と膳舎が設けられ、また齋 場前左右両側の参列者大幄舎、便所、救護所、葬儀員休所、新聞記者詰所などである。一 方永田町の議員記者会館に設けられた国葬事務所では、総務、庶務、儀式、工営各係員 が8日後にせまった国葬に備えて準備に余念がなかった。
国葬の模様
朝8時50分、棺は白布に覆われて、「武蔵」乗員の手で、水交社玄関前の黒い砲車に移
された。海軍軍楽隊が先頭に立って日比谷の齋場に9時50分に到着した。
葬場は幔幕を張った簡素な仮屋で、正面には白木の台が据えつけてある。台の左右に
は天皇、皇后、皇太后陛下から賜った幣帛が一対づつ並べられている。葬場の正面入り
口には大榊が一対植えつけられ、向かって右の梢には、錦の袋に包んだ剣、左の木には
鏡と玉とがかけてある。その左右には各宮家から賜った榊が2列に並び、その後には諸盟
邦国から贈られた花輪が並べられている。イタリアのムッソリーニから贈られたものは
最も華やかで、白のカーネーションやバラや椰子の葉を3色の布で巻いたものである。
幄舎は2つに別れ、向かって右から東条首相が先頭に入ってくる。それに陸海軍の大将
や、大臣、前大臣が続く。左の幄舎にはレイ未亡人を先頭に、令嬢、令息等の遺族、親
戚知己が続く。式は勅使等の拝礼に続いて各皇族の自拝、代拝。そして喪主が玉串を捧
げた時、軍楽隊が「命をすてて」を奏し、弔銃3発の一斉射が行なわれた。午後からは数
万の一般参拝が行なわれ、そのあと、遺骨は多摩墓地へと送られた。戒名「大義院殿誠
忠長陵大居士」