大平元首相

/ 情報誌『デス・ウオッチング』95.11より


 
 大平元首相は1980年6月、衆参両院の選挙運動中の6月12日、心筋梗塞で入院先の虎 の門病院で死亡した。享年70歳。大平は糖尿病をわずらっており、食事療法守ることが 出来ず心筋梗塞をおこしたのである。医師団は、「午前5時54分、逝去された」と発表し た。死因は上室性、心室性不整脈から心原性ショック状態に陥ったためである。現職の 首相が死亡したのは5人目。訃報を聞いて田中角栄氏や金丸信国氏も病院にかけつけた。 遺体は病理解剖にふされたあと、地下1階にある霊安室に安置された。遺族の見守るなか を、東京テモテ教会から来た牧師が最後の祈りを捧げた。そのあと遺体は棺に納められ、 十字架の模様のある黒の布で覆われた。11時過ぎに遺体搬送車は、白バイ2台に先導さ れて瀬田にある私邸へと向かった。
 祭壇は庭に面した居間に設置され、その夜は身内だけの仮通夜が行われた。翌13日に 通夜が行われ、14日午後1時からキリスト式で密葬が行われた。聖歌が流れる中を、約 4千人の会葬者が白い花を献花した。

 合同葬儀

 7月9日「内閣・自由民主党合同葬儀」が日本武道館で行われた。その日は朝から雨で あった。喪主大平裕氏が遺骨を抱いて式場に到着。19発の弔砲が放たれた。祭壇は白と 赤のカーネーションでデザインされた日の丸を中心として、白菊と杉の葉で飾られ、そ こに遺骨を安置した。1分間の黙祷のあと、首相の生前の声が場内に流された。そのあと 首相臨時代理の伊東正義が葬儀委員長として式辞を述べた。
「…その生涯は、文字通り、邦家のため、国民のために捧げつくされました。そして70年 の生涯を、政戦のさ中、不慮の病死によって閉じられたのであります。」
現職の総理大臣の葬儀のため、カーター米大統領、華国鋒中国首相をはじめ、108カ国の 代表が式典に参列した。
 弔辞奉読のあと、会場内の親族・関係者の献花が終わると、告別式が始められ一般会 葬者たちの献花に移った。音楽隊の演奏が流れるなか、順番を待つ献花の列は2時間にわ たって続いた。
 大平の墓は多磨と故里の豊浜にある。その裏面には

       君は永遠の今を生き
       現職総理として死す
       理想を求めて倦まず
       たおれて後已まざりき

   と記されている。

                  (資料『大平正芳回想録』鹿島出版会)



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