石川啄木
淋しい葬儀
啄木の葬儀の模様について報道されたのは「東京朝日新聞」だけであった。それには
次のように紹介された。
「社員故石川一氏(本名)の葬儀は、昨日午前10時浅草松清町なる等光寺(本願寺中)
に於て執行された。途中葬列を廃して、未亡人せつ子や佐藤真一、土岐善麿、金田一京
助其他の人々柩に付添い、予め同寺に参着。棺は狭い本堂に淋しくおかれた。やがて会
葬者はポツポツ集まる。夏目漱石、森田草平(中略)いう先輩やら親友やらの諸氏が見
える。しんがりには佐々木信綱博士が来られる。それに本社員の誰彼を加えてわずか4、
50名が淋しい顔を合わせた。人は少ないが心からの同情者のみである。程なく導師土岐
静師は3名の若い僧侶を具して淋しく読経する。おわって白衣の未亡人は可憐なる愛嬢京
子を携えて焼香した。香煙の影に合掌せる母子の姿は多感なる詩人の柩と相対して淋し
い人生の謎である。4、50名は等しく泣かされた。続いて一同の焼香も式は終わって棺は
大遠忌のにぎにぎしい本願寺を5、6人の人に守られつつ、町屋の火葬場へ淋しくかつが
れていった」
この時の模様を天民が歌にしている。
「 大遠忌に 賑える春の 真白日や
静かに送る 君が御棺 」
*大遠忌は親鸞六百五十年忌をさす
函館の墓
啄木の遺骨は一旦等光寺に埋葬されたものの、大正2年6月函館に「啄木一族の墓」が 建立され、そこに遺骨が移された。墓には「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹 とたはむる」の歌が刻まれている。
啄木一周忌追悼茶話会
大正2年4月啄木の追悼会が浅草等光寺で行なわれた。「近代思想」の消息欄に啄木一 周忌の追悼会の予告が掲載された。
故石川啄木一周忌追悼茶話会
日時、四月十三日午後一時より
場所、浅草区松清町等光寺にて
会費、金三十銭(当日持参)
発起人、与謝野寛、佐藤真一、北原白秋(以下略)
尚、出席の方は、来る7日までに
芝区浜松町1の15 土岐哀果宛通知せらるべし。
(資料:冷水茂太「啄木遺骨の行方」)