死と葬儀の設計
わが国の葬儀は仏式が中心を占めている。しかしめまぐるしく変化する時代のこと、個 人の意思を反映させる形式もあらわれている。今回のデス・ウオッチングでは、前回に 引き続いて、平成2年にセキセー(株)が行なった葬儀の体験談募集の中から、「自分の 葬儀設計」を抜粋して取り上げてみた。
死は突然やってくるが、ガンなどの病死の場合の多くは、ある程度その時期が予測出 来る。従って葬儀の準備もあらかじめ出来ないことはない。しかし葬儀の事前準備は「縁 起が悪い」という気持ちが付きまとい、準備をすることで、死を招き寄せることになる のではないかという不安がどうしても拭いきれないものである。
従って、葬儀の準備は家族でなく、本人が残された家族のために健康のうちに行なう のがベターである。ここに取り上げた4つの例も、やはり本人が残された家族のために、 準備した葬儀の計画である。
●残った家族のために / 鈴木智恵子(64才)
私は、60才を過ぎてから、死について、真剣に考えるようになった。長患いしたくな い、植物人間になったら、延命処置は取らないでほしいと願っている。(中略)私として は、子供たちにあまり負担のかからない様に質素な葬儀を行なってほしいと思う。…死 者の生前の事など、又死者の声などもテープで流したら、一段と葬儀の意義が上がると 思うのだが。
読経の後に是非そういうものを行なってほしい。
今の葬儀は、一般的に一時間と決まっている。進行する側では、読経を短縮してはい けないと思うだろうが、施主でその事を要求してもいいのではないだろうか。…音楽好 きの私には、最後に幼い頃に歌った「赤とんぼ」の歌を静かに参列者に歌ってもらうな んて、素敵ではないか。型破りの葬儀とあきれるかも知れないが、そんな夢もある葬儀 もあってこそ、21世紀にふさわしい。
●赤いバラがいい / 竹原ゆき子(54才)
「結婚式とお葬式は似てきたように思います。故人の意思は無視されて一つの形式とし て心がこもっていない」
お通夜の帰り道、ぽつんと言った友達の声でわたしは、ふと、自分の「葬」の形を頭 に浮かべた。…
好きだった坂本龍一の音楽を流してほしい。装いは美しく、願わくばピンクのロング ドレスにして欲しい。口紅も明るいものがいい。花も菊もいやだ。真っ赤なバラにして 欲しい。通夜の夜は真っ赤なバラだけで埋め尽して陽気な音楽の流れる中で、私の愉快 な人生を語ってみんなで笑ってほしい。
北原白秋の詩集と鉛筆とノートを一冊は忘れないで入れてほしい。「赤いバラの以外の 花は飾らないで」と書きとめておこう。
参列者や口うるさい人々が、わたしの愛する子供たちを変人扱いしないよう、毛筆で 「葬に対するわたしだけの五ケ条の誓文」を残してゆこうと思っている。
●それなりの準備 / 渡辺淳巳(65才)
2年程前、「田舎教師」を読み返しながら妻と話しあった。やっぱり昼間「まともな」 葬式をして貰いたい。そのためにそれなりの準備をしておこうではないかと。そこで次 のような「それなりの準備」が整えられたのである。
更にわたしに限ってはもう一つ、参列者に配る手刷りの詩集。年来の秀作を選んでー「足 跡残したいから」
●その日のために / 高畑晴美(男性65才)
これまで数多くの人の葬儀に列席してきたが、「なぜ、故人の生前の人柄が無視され、 規格化した扱いをされねばならないのか」と、疑問を抱く場面に出会うことが多かった。 そして「家族や、周りの人に迷惑にならない範囲で、自分の葬られ方について、希望を 伝えておくべきでないか」と、考えるようになった。
私がその日を迎えたとき、適えて貰いたい葬儀のスタイルを述べてみたい。
通夜、葬儀・告別式、出棺、火葬と取り運ぶ北海道式の手順に依存はないものの、通 夜は身内のみでしめやかに営んでほしい。家族の者たちは、看取りなどで疲れ切ってい ようし、私もしばらく苦しみから解放され、ひとときを静かに休ませて貰いたい頃合だ。
次に告別式は無宗教でお願いしたい。決して宗教心を否定するものでないが、信仰す る既成の宗教をもたなかったので、馴染みのない宗教の葬式では、窮屈で空しい思いが する。友人の司会で、挨拶や経過報告のあと、読経やのりとに代えて、学友、かっての 職場の同僚、短歌やスキー仲間や、近所お人たちなどから、思い出話や忌憚のない批評 などを述べてもらえばうれしい。
その後で、あらかじめ準備された焼香箱、玉串、生花などの中から、参列して下さっ た方が、その人の宗教や気持ちに応じて選んで手向けて下される。もちろん、黙祷のみ でもありがたい。
この間、式場に流す音楽は、私の好きなショパンのピアノ曲。出棺の間際に鳴らして もらうニニ・ロッソの「夜空のトランペット」と共に、すでにテープに収めて机の引き 出しに入れてある。その他のことは一切おまかせして、軽やかな気持ちで「彼の世」と やらに旅立ちたいのである。
葬儀の遺言をしておいても、実際にその通りに行なわれるかどうかは、遺族や親戚縁 者の協力があって、はじめてできるものである。ここでは、遺言通り葬儀が行なわれた ケースを取り上げてみた。
●父の葬儀 / 小林洋子(52才)
私の父は70才で急死した。前日、風邪ぎみだと電話があった所から、かけつけた子供 達はもちろん母は呆然として、涙も出ずに父の遺体を見つめていた。心臓マヒで数分に して昇天してしまったのだ。
お葬式をしなくては、とやっと気づいたものの何をどうすればいいか、頭もボーツと して皆うろうろしていた。とりあえず親しい人に知らせるべく、父の書斎へ行って机中 の住所録を探していた私は、引き出しの中に「遺言。万一にそなえて」と書かれた封筒 を見つけた。
開いてみると
「私の葬儀は次のように行なわれたし」とあった。便箋三枚にわたり、父は自分の葬儀 のやり方を克明、具体的に書きしるしていた。クリスチャンだった父は、葬儀を司る教 会、牧師の住所と電話を記し、死亡したらすぐ連絡して一切を任せること、から始まっ て葬儀に出席してもらう知人の一覧表まできちんと記してあった。
そのおかげで、迷うことなく家族は葬儀の準備が出来たのだが、終わりのページに、告 別式に供える花は、白い百合と菊、歌ってほしい讃美歌の番号まで書いてあるのを読ん だとき初めて家族は号泣した。
生前、死に関する話は一切せず、まだまだ現役でユーモラスな父だったが、それだけ にこの遺書は悲しく、しかし同時にありがたかった。
●自ら指示した葬儀 / 白石道子(35才)
父は死期が近いと悟った時、私にノートとペンを持たせて枕元によんだ。
「いいか。これから俺の葬儀の式次第を言っておくから、正確にひかえておけ」
と言って、葬儀場所や葬儀責任者のことなど事細かに采配した。あくまでも式は簡素に、 そして香典のお返しは、社会に少しでも役に立つようにと慈善事業へ寄付しろとの遺言 だった。
家族は、色々と指示する父を見て、不思議と涙は出てこなかった。父が指定した葬儀 場所に対し、私と母は、
「あそこは遠すぎるわ。もっと来ていただく方々に便利な所の方がいいわ。」
とまるで他人事の様に言い合い、父と共に笑い声さえ上げたほどである。…
式場の正面に飾られた父の遺影を見たとき、まるで父が自分が指示した通りに葬儀が 行なわれているか、上から監視している様だった。
●バラの葬儀 / 伊藤宜子(38才)
K子が亡くなったのは、新緑の頃だった。…一年前、私たちは…行末のことを語り合 いながら銀座のバーで、11時の閉店ギリギリまで飲んだ。(中略)別れ際、K子は柄にも ないことを口走った。
「もしあなたより私が先に死ぬことがあったら、私は葬式をしないから。私は自分が心 の底から好きだと思う人にだけ通知を出して、一人一本の真紅のバラを持ち寄ってもら うの。シンミリとしたのは嫌いよ。私の好きなロックをかけて、温かな葬儀にするの」
彼女に死の予感があったのかどうか知るすべもないが、K子は私に話した言葉通りの 遺言を残して他界した。
それは奇妙な葬儀だった。
彼女の家近くでタクシーを降りると、小さなボリュームでビートルズ・ナンバーが流 され、僧侶の読経はなく、大きく開け放した彼女の書斎の入り口に、B2版のカラーの 肖像写真が飾られ、周りには真紅のバラが七つもの大口花瓶に競い合っていた。「死に顔 は見せないで」の遺言通り、彼女の柩には白いベールがかぶせられていた。
私はこの夜、彼女を知る大勢の文士と出会った。皆涙は隠して、精一杯、陽気に生前 の彼女を賛えた。一人が彼女の愛したキャンティ・ワインを捧げ、「K子の来世を祝う」 と叫びつつ飲み干した。
「自分の葬儀はこうしたいああしたい」という希望があっても、それを実際に行なって くれる業者がなければ、それは空しいものとなる。現在新しい葬儀を提案したり、実施 する業者の登場をまっている人たちが確実にふえつつある。
●葬儀ローン / 内田和美(50才)
…ふと目に止った初めての広告。それは、ある葬儀会社が出した葬儀ローンである。仏 壇の広告なら、月に数回も見るが、こんな広告は初めてである。それも月に3千円づつ の積立で60回、いざ葬儀という時にはいたれりつくせりのセット内容である。
「あなた見て、この広告。これも一工夫ね。」
主人と二人、隅から隅まで読み返した。誰しも、死を考えたくはないし、言葉に出す ことすら不吉に思いがちだが、早かれ遅かれ死は必ずやってくる。そして、時には年令、 順序を無視して。もし突然、私や家族にこの日が訪れたら、いろいろの面で大混乱が起 こりうるのは明確である。ひたすら家と職場を往復して28年、世間知らずの私が家族の ために何ができよう。報告の内容は盛り沢山で、写真からはじまって葬儀一切、進行係 までセットされている。時代は進んだとはいえ、ここまでいたれりつくせりになった。 きっと祖父母に言うと、
「そんなこと、とんでもない。縁起でもないよ。」
と、嫌うかもしれないが、いざという時の転ばぬ先の杖の如くありがたい気がする。特 に私のその日、まだ学生ではあるが、優しい心に育ってくれた長男をわずらわせないた めにも、このローンに入りたいと思う。
●葬祭企業に期待する / 西田玲子(54才)
「風と共に去りぬ」のスカーレット役で不滅のスターとなったヴィヴィアン・リーは死 後、灰を館の裏にある湖に母親と愛人の手で撤かせた。日本ではこの種の「散骨」が許 されていないらしい。そこで、私は葬儀社に期待したい。
狭い日本は霊園にも限りがあろう。自然に帰したい願いはかなえられるべきだと思う。 冠婚葬祭はもっと平等に企業化されるべきものだ。ブライダル・コンサルタントはTV に登場するのに、フューネラル・コンサルタントは存在すら聞いたことがない。
結婚は一度とは限らない。死は確実に一度何人にも訪れる。人はそれぞれの形で、人 生の終結を望むはず。死にかかわる公私の業務を請負う企業は、せめて旅行代理店なみ になってほしい。国内外、団体旅行から個人ツアーまで世話する店よりは、むしろより 重要な「あの世への旅」。しかも、やり直しのきかない「ただ一度の大事な旅」を手伝っ てもらえる店がほしいと思う。
「死の設計」は葬儀のプランだけでなく、自分の財産の処置方法から、死後の墓、追善 供養まで一切の問題について、遺族に言い残しておくことである。これも安心して生を 全うしたいという気持ちの現われであるが、あらためて書いてみるとなかなか大変のこ とのようである。
●自分の卒塔婆作り / 池田民雄(83才)
今自分は83才である。そろそろ死後の事を考えるべき時だ。私は東京に居住している が、10年位前は関西に住んでいて、お寺の檀徒総代もした。それで体面上60の手習いで 般若心経も暗誦出来るべく練習した。子供たちは皆東京に家を持ったので、私の死後回 忌や法要の度に遠くに帰省する事を面倒がるらしい口ぶりなので、私は故郷の菩提寺へ は永代供養料を奉納し、新たに都下に霊園を購入した。
そしてさしあたりの処置として、白木の位牌に戒名を記し、日曜大工の腕をふるって 卒塔婆も作り「為○○○回向」と書き込み、似顔絵画家に描いてもらった肖像を額縁に 入れて黒いリボンで飾ってある。こう申せばケチな奴だと思われるが、皆後に残された 人への配慮である。老人も漫然と神社仏閣巡りをするよりも、戒名の書き方、卒塔婆の 形態をよく見学・研究した方がボケ防止の方策ともなると思う。
●自分の死の設計 / 伊藤靖(56才)
還暦に近くなると人々の死に遭遇し、自分の死について深く考えるようになる。この ようなときに自分の死を設計することは、後に残る者のためにも必要な事といえる。
一、健康な間に現在家族に知らせておくこと。(遺言として残すのも一つの手である)
二、入院前に
●問題は心の整理 / 楢崎好江(58才)
人間にとって重大な死を自己の意志と責任で、きちんと取り仕切るには、元気な今やっ ておかねばならないと痛感。心と物の整理を冷静に見つめて終焉設計図を書いた。
問題は私の心の整理である。悩みながら、悩みながらも多くの人に支えられて懸命に生きた58年である。…「どう死すべきか」は「どう生きるべきか」の同意語だと思う。 所詮人間は一人で生まれ一人で旅立つものだ。三途の川の渡し賃は紙の六文銭だけと思 えば、いろんな欲は霧散する。
●一老人の決意 / 横内亮(69才)
私は子供がいない。妻と二人ぐらしの年金生活者である。定年後、横浜から妻の健康 上の理由で、この土地(埼玉)へ家を建てた。(中略)妻が死ねば、身寄りのない身であ るから、私だけ後に残る。私が死ねば、後継ぎがいないから土地財産は全部、お国へ返 すようになるであろう。私達老夫婦を最後まで面倒みてくれる人があれば、財産は贈り たいと思っているが、実際にはいるものではない。…
今、私は69才、妻は67才。妻の身体も子供がいないため、結婚以来、45年間、女一 人で家事をやってきて、一日も休むことはなかった。そのために、今年に入り、妻の体 は老化が激しく、腸が悪くなり、消化不良になり、今、病院へ通院中である。
私は能のない人間でお台所もお洗濯もやれない。だが、何とか、これから全部やって いかなければならない。
死んだ後の始末をどうするか。毎日、私は真剣に考えている。不要な本や品物や綴り は毎日、少しづつ処分している。今のところ、互助会に積立して、死後の葬式のことは 任せている。安心立命を願って、毎日がんばっているが、妻に先立たれた後を思うとき、 しっかりした生き方をしないといけないと自戒している。
献体を行なう人は生前に登録しなければならないが、たとえ登録していたとしても、い ざという場合に遺族の人に反対されるケースがある。
●死後は献体を / 高尾瑞代(53才)
18才で関節リュウマチを発病した私は、現在一種一級の重度身体障害者である。何か と人様のお世話になることの心苦しさ、申し訳なさが私を苦しめる。少しでも自分のや れることはないだろうか、の思いは日に日に強まっていった。
ある日新聞を見ていて献体の記事に出会う。
「これだ!」
我が意を得たりと私はとても嬉しくなった。大学病院から白菊会入会案内書を取り寄 せる。この身が役立つことの誇らしさに、早速親姉妹に同意を求めた。
「切り刻まれるのはしのびない」
と一蹴される。確かに、肉親としての言葉は重みを持っている。献体の是非に対する自 分なりの考えが受け入れられないもどかしさのまま、15年が過ぎた。
私の遺体は、いまだ原因不明で治療法が確立していないリュウマチ医学の研究に、そ して、角膜や臓器をもらえれば助かる人に移植をと強く願っている。それなのに助かる 人を前に提供できずに、一握の灰になってしまうことの損失の大きさに気づいてほしい。
肉親の情がわからぬわけではないが、自分が受ける当事者になったつもいで考えてもら いたい。
●献体の挨拶 / 清水早苗(25才)
叔母が亡くなったのは夏も終わりに近づいた頃だった。
「遠い所をわざわざ…」
子供もなく、たった一人残された叔父さんは姪の私にも深々と丁寧に頭を下げた。(中 略)
「最後にお別れを…」
という私に、叔父は黙って首を横に振った。叔母の遺体はなかった。
親族代表で挨拶に立った私の父がその理由を淡々と説明した。
「故人の、妹深雪の遺体はここにはございません。故人の生前からの意志により、G大 学病院へ献体させて頂きました。生前、アイ・バンク及び腎臓バンクにも登録しており ましたので、角膜は視力障害のある方へ、腎臓は重症腎不全の方へ供与されることにな りました。生前、故人が申し上げますには、病弱で充分に働くことも出来ませんでした ので、せめて何かの形で人様のお役に立ちたい、ということでした」
水面に石を投げた様に、人々のすすり泣く声が静かに響きわたった。
●アンケートより
高齢者のための雑誌『明日の友』91年増刊号に、「自分自身の終末に関し準備しているこ と」のアンケート調査がある。それによると、葬儀費用を準備している人は58%、墓を 準備している人は59%という結果が出た。
準備をしたきっかけとなった理由として、夫の死、近親者の死や病気、ガンを患って、あ る年令を境に、家を夫婦名義で買ったときがあげられる。 P>